天才棋士「村山聖」8/5「林先生の生きざま大事典」 [テレビ]
昨日の生きざま大事典は、「29年間の人生を真剣に生きた天才」将棋の村山聖さんでした。
「東の羽生、西の村山」と言われたほどの方だったそうなので、将棋をやっている方は知っていると思います。
画像引用元 http://iesiat2.blog.so-net.ne.jp/2011-01-17
村山さんは5歳のときに「腎ネフローゼ」という病気にかかりました。
これは、肝臓の障害により、むくみや血圧上昇などの症状が出る重い病気で、未だに原因が解明していない難病だそうです。
そんな病気にかかりつつも将棋に出会い、将棋へと人生を捧げて行きます。
小学1年生の頃にお母さんが漢字のある難しい本を買ってきたそうです。
読めないから易しい本を買い直そうとするお母さんに
「大体のことは前後を読み返せば分かるんじゃ」と言ったそうです。
まだ7歳ぐらいなのに、大事なことがわかってますね。
そんな村山さんなので、みるみる将棋の腕が上達していき6年生の頃になると
「ここにいても強くなれん」と、県内の強豪が集まる教室に通っていたのに言ったそうです。
この頃谷川さんという方が若干21歳にして名人になり、村山さんも「若くして名人になれる」と思い、親戚一同の大反対を押し切り、大阪へと渡り奨励会に入ります。
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そのとき大反対する一族に「谷川を倒すには今行くしかないんじゃ!!」と言ったそうです。
自分の体のこともあり、そんなことをいったんでしょうね。
周りの大人も体の心配もありますが、ここまで言われては反対できませんよね。
村山さんは大阪で「森信雄」さんの弟子になります。
村山さんは「森さんが師匠じゃなかったら、ここまで成長できなかった」と言っています。
村山さんは森さんの家で暮らしていたのですが、まるで親子のようだったそうです。
森さんも自分のことはあまり構わない性格のようでしたが、村山さんのことはきちんと面倒をみていたそうです。
そして、17歳でプロになります。
2年11ヶ月でのプロ昇格は異例のスピードだったそうです。
しかし、この間も入退院を繰り返していたようです。
とはいえ、「普通の青年が当たり前のようにすることをしたい」と、友達と飲み会や徹夜麻雀などをしていました。
体に悪いことですが、難病をかかえ状態の悪いときは布団から出るのもやっとだったそうです。
そういう人なので、状態の良いときに無茶をしてでも「普通のこと」をしたかったんですね。
その後、村山さんは膀胱ガンになります。
8時間半の大手術を受けたのですが、一ヶ月後には将棋界に復帰しました。
そして、名人に挑戦できるA級というトップクラスにまで復活します。
「やっと名人に挑戦できる」
そんなときに、膀胱ガンが再発し、1年間休戦し治療に専念することになります。
その後、復帰することはありませんでした。
村山さんは「早く名人になって将棋をやめたい」と口癖のように言っていたそうです。
29年と短い人生ですが、私などよりとても濃い人生を歩んだ人だったんだなと思いました。
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「東の羽生、西の村山」と言われたほどの方だったそうなので、将棋をやっている方は知っていると思います。
画像引用元 http://iesiat2.blog.so-net.ne.jp/2011-01-17
村山さんは5歳のときに「腎ネフローゼ」という病気にかかりました。
これは、肝臓の障害により、むくみや血圧上昇などの症状が出る重い病気で、未だに原因が解明していない難病だそうです。
そんな病気にかかりつつも将棋に出会い、将棋へと人生を捧げて行きます。
小学1年生の頃にお母さんが漢字のある難しい本を買ってきたそうです。
読めないから易しい本を買い直そうとするお母さんに
「大体のことは前後を読み返せば分かるんじゃ」と言ったそうです。
まだ7歳ぐらいなのに、大事なことがわかってますね。
そんな村山さんなので、みるみる将棋の腕が上達していき6年生の頃になると
「ここにいても強くなれん」と、県内の強豪が集まる教室に通っていたのに言ったそうです。
この頃谷川さんという方が若干21歳にして名人になり、村山さんも「若くして名人になれる」と思い、親戚一同の大反対を押し切り、大阪へと渡り奨励会に入ります。
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そのとき大反対する一族に「谷川を倒すには今行くしかないんじゃ!!」と言ったそうです。
自分の体のこともあり、そんなことをいったんでしょうね。
周りの大人も体の心配もありますが、ここまで言われては反対できませんよね。
村山さんは大阪で「森信雄」さんの弟子になります。
村山さんは「森さんが師匠じゃなかったら、ここまで成長できなかった」と言っています。
村山さんは森さんの家で暮らしていたのですが、まるで親子のようだったそうです。
森さんも自分のことはあまり構わない性格のようでしたが、村山さんのことはきちんと面倒をみていたそうです。
そして、17歳でプロになります。
2年11ヶ月でのプロ昇格は異例のスピードだったそうです。
しかし、この間も入退院を繰り返していたようです。
とはいえ、「普通の青年が当たり前のようにすることをしたい」と、友達と飲み会や徹夜麻雀などをしていました。
体に悪いことですが、難病をかかえ状態の悪いときは布団から出るのもやっとだったそうです。
そういう人なので、状態の良いときに無茶をしてでも「普通のこと」をしたかったんですね。
その後、村山さんは膀胱ガンになります。
8時間半の大手術を受けたのですが、一ヶ月後には将棋界に復帰しました。
そして、名人に挑戦できるA級というトップクラスにまで復活します。
「やっと名人に挑戦できる」
そんなときに、膀胱ガンが再発し、1年間休戦し治療に専念することになります。
その後、復帰することはありませんでした。
村山さんは「早く名人になって将棋をやめたい」と口癖のように言っていたそうです。
29年と短い人生ですが、私などよりとても濃い人生を歩んだ人だったんだなと思いました。
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タグ:生きざま大辞典
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